茶道×デザイン、アートの共通点?!
ある一説によると千利休をはじめとする、茶人は城の設計、茶室、茶碗などの器までをディレクションしたと言われております。現代でも、設計士と物をデザインするプロダクトデザイナーを兼用することは、日本では少ないのですが海外では珍しくないケースでもあります。それと比べても、その時代の茶人は、ありとあらゆる事を自分の好みで作りあげていったと言う。まさにクリエイターだと感じます。
また、茶人のそれぞれの好みで茶室から、おもてなしの仕方までをセレクトし、現代でいうところの茶室のしつらえはまさに、一種のインスタレーションだなと思います。また茶人が茶碗の価値をあげ、それを職人に作らせて、ビジネスをする。ブランディングということまでやってのけてしいます。
茶人が自分好みに創意工夫することで、みんなで競い合ったとのではと言われています。競い合うことで新しいものが生まれ、その次代の創造力というのはすごく高い状態にあったのではないかとも考えます。
自分の場合は、あるデザイナーの作品をみて「そうきたか」と奮い立たせ、モチベーションがあがったりと切磋琢磨するのですが、その境地は、茶人同士の競い合いとも近しいものがあるのかなという、空想をしてみるのも楽しくなります。壮大な話になってしまいますが、戦国の世も、現代も、人一人が暮らすことでもなく、対人に対しての創意やデザインということになりますので、創造力というのは、おそらく一人が奮起しても、あまり伸びしろがないのかもしれないですね。
さらに話は、当時の茶人の凄さに関してですが。当時の茶人は、茶をする人であり、武将、商人などの本業もあったりします。
千利休は元々商人から、お殿様の筆頭茶道にまで、上り詰めたと伝えられます。商人でありながら、お殿様も恐れる、権力をもっていて、その時代を動かすことまでしているとなると、クリエイターの枠も越え、経営者、政治家の域にまで達することになります。
現代では色んな職種も増えて、新しく名付けられることで、それに徹しているのが現状です。戦国の世では、自然と位の高い人が取り決めていったというのが自然な流れなのかもしれません。しかし茶人が残したと器などを見ると、どうしてこんな発想が思いつくんだろうと驚くことも多く
創造力は非常に高いと感じるのでした。
そんなこんなで、デザインの仕事にいかせると感じたのが動機で、茶道を習い始めたのでした。
まだまだ奥深いですが、いまの時点でも勉強になることが山程あります。
果たして真相はわかりませんが、茶人は、現代でいうあらゆる職種を兼任していたのではないかという考察でした。